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諌早湾干拓における公共事業について

299-162 峰松 紘

諌早湾干拓事業は、これまでの日本の公共事業、そして、これからの日本の公共事業において、大きなお手本となるものである。それは、環境問題という点、及び国家の公共事業への考え方という点など多岐にわたる。開発する必要のないものを開発する、開発しても意味のないものだとわかっていても開発する、こういった悪循環が、諌早湾干拓事業には詰め込まれているのである。

1997年4月14日に鉄板が落とされて締め切られて以降、諫早湾は急速に変貌しつつある。これには、一見の価値があると思われる。それは、諫早湾一帯の風景が、とても伸びやかで美しく雄大だということ、締め切った諌早湾も、無惨に干上がっている干潟の面積も、多くの人々が想像しているよりもはるかに広いということである。そして、ひび割れた干潟の表面には、無数のカニ類やカキの殻があり、既に陸生の植物がその一部を覆っている。干拓の目的として農水省は「食糧供給の自給率を上げるため」に農地造成が必要と主張するが、これでは自給率を下げてしまっているのではないか。絶えることなく供給してくれる生産力を有していたこの広大な泥質干潟を賢明に利用することこそが、本来の農水行政ではなかったのであろうか。だが、堤防締め切りですっかり死滅したかのように言われているムツゴロウやトビハゼ、カニ類などの干潟や汽水域の生き物たちは、今も驚くべき生命力で生きている。潮を入れさえすれば干渇の回復は急速に進むであろう。

「公共事業のムダ」を指摘する声は多い。諌早湾の干拓事業はその典型である。しかし、あきらめてしまっては何も生まれない。この壮大なムダを教訓として、諌早湾の環境を活かしつつ次なる展開を前向きに考えるべきである。

本稿では、諌早湾干拓における損失の重大さ、及び支離滅裂な開発について、生物学的な損失、防災効果、営農の計画、財政面などから、諌早湾干拓事業の問題を考察した。このなかでも、生物学的な損失が甚大である。動植物はもちろん、干潟という生き物までも失ってしまう。この点においてはあきらかにこの公共事業は間違いだ。防災面、営農面においても当初計画とはまったく違うものになったと言ってよい。つまり、諌早湾干拓事業という公共事業は、良くない公共事業の典型になっている、と言っても過言ではない。



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