アジアの発展 6/14
110-065 浦上竜太郎
1 アジア経済の発展
アジア経済が発展した契機の一つとして、1985年のプラザ合意があげられる。(プラザ合意とは、1985年9月22日、アメリカ合衆国、日本、イギリス、フランス、西ドイツによる五か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)で決定された、ドル安に向けた参加各国の協調行動への合意のことである。)これによって、急速に円高が進み、為替相場は半年間で1ドル242円から140円前後となった。この円高により、日系企業の国際競争力が低下し、物価や労働力が安価なアジア諸国へ進出するようになった。
アジア諸国では、日系企業の進出により、税収の増加や失業率の低下が見込めることを理由に、1980年代後半より海外投資増加を目的とした規制緩和が行われた。
また、投資増加の理由として以下の要因がある。
・資金流入を加速するため、金利を高く設定していた。
・自国通貨のレートをドルに連動させるドルペッグ制を採用しており、低いリスクで資金を増やすことが可能だった。
2 タイの場合
タイでは1984年10月まで完全なドルペッグ制を採用していたが、11月から自国の通貨を主要な貿易相手国の通貨と変動させる通貨バスケット方式をとっていた。しかし、ドルによって動く通貨比率が80%以上を占めており、ドルの影響を強く受けることになっていた。また、バーツの市場金利はドルの市場金利より5%高く、投資家は為替変動の不安なしに金利差を入手できた。そのため、タイ政府はバンコク・オフショア※金融センターを設立して海外金融を誘致した。その後、タイに経常収入を上回るほどの資金が流入した。
さらに、海外からの資金流出をさせるために、アジア諸国では現地企業が簡単に低利子の外資を受け入れることが可能となっていた。このような状況下で、タイの残高に占める短期資金の割合は1993年から40%を超え、マレーシアでも1993年から20%を超えるようになった。
以上のように、アジア諸国で急激な資本流入が生じたのは
1 豊富な投資機会が資本の供給サイドにあったこと。
2 オフショア市場の設立や資本取引に対する税制優遇措置などの制度的優遇政策を需要サイドがとったこと。
3 実質的にドルに固定された為替レート制度が存在したこと。
などがある。
※ オフショアとは、外国の投資家や企業の資産管理を受け入れる金融機関や市場のこと
USドルと日本円の1950年からのチャート
参考:『マレーシアの経済発展とアジア通貨危機』 P48~51 橋本雄一著