11期生 109-360西原正敏

 

テーマ:第19代内閣総理大臣 原敬について

 

はじめに

 

歴代首相の中で、膨大な量と研究に値する質を備えた自著の文献を遺した人物として、第3代立憲政友会総裁であり第19代首相である原敬(1856~1921)をあげることができる。そして原敬が遺した文献を基にする先行研究が活発に行われている。このことがきっかけになり、私は原敬を研究することを決めた。

原敬の遺した文献にインタビュー記事や対談記事といった第三者が介入するものでない、自身が一人で書き上げた『原敬日記』がある。また原が大阪毎日新聞社で社長に就いていたときに、自身が連載をしていた記事を単行本として出版した『でたらめ』もある。第三者による加筆がされていない『原敬日記』には原が、政治や日常生活に対して主張したいことや雑感などが誤魔化し無く書かれている。一方の『でたらめ』からは、原が協調主義者であることを確認できる。私はこの二つの文献を主な手がかりに、先行研究を踏まえ、協調主義者である原の性格を明らかにし、なぜ協調主義が時代に馴染んだのかという問いに答える。

 

 

研究成果

三回目まで 511日以前

四回目 518日 テーマ変更

五回目 525日 原敬の生涯

六回目 61日 藩校と作人館

七回目 68日 原敬が衆議院議員として代議士活動を始めるまで

八回目 615日 『原敬日記』はじまる

九回目 622日 大東日報の記者となる

十回目 628日 政界から下野

十一回目 76日 伊藤博文が立憲政友会を結社

十二回目 713日 日露戦争から第三代政友会総裁就任まで

十三回目 720日 十四回目 727日 この論文で述べること

十五回目 918日 日本における初期の鉄道

十六回目 105日 卒業論文の書き出し

十七回目 1012日 原敬と星亨

十八回目 1017日 補足:民選議員論争

十九回目 1026日 大阪毎日入社の辞

二十回目 119日 中国内政不干渉と四大政綱

二十一回目 1116日 山県有朋とロシア帝国

二十二回目 1123日 補足:外務省通商局長としての原

二十三回目 1130日 『でたらめ』にみる原敬の性格

二十四回目 127日 原敬の研究必要性

二十五回目 1214日 補足:原が大東日報の記者になったときに書かれた同紙の論説

二十六回目 1221日 はじめに おわりに