・世界最先端の農業

キューバは保育園から大学までの費用はすべて無料で、医療費もタダであった。

なぜなら崩壊前のソ連の強力なバックアップが存在したからである。

ソ連は、キューバが輸出する砂糖などの農作物を世界価格の4〜5倍で買い取り、石油もキューバが他国に再輸出できるくらい安い価格で供給していたのだ。

その他の途上国と比較してもかなり有利な貿易協定が結ばれていたため、石鹸からトラクターまで輸入に頼っていた。ちなみに、輸入元の84%はソ連である。それを示すグラフを下記に示した。

輸入食品

比率

小麦

100%

豆類

99%

穀類

79%

50%

食用油・ラード

94%

バター

64%

牛乳及び乳製品

38%

魚類

44%

 

輸入品目

輸入の比率

木材

98%

各種原料

86%

機械類

80%

化学製品

57%

食糧

57%

 

 

 

キューバは基本的に農業国で、砂糖や葉巻を輸出し外貨を稼いでいたため、生産は非常に大規模なものとなっていた。一つを国営農場化し、灌漑農業とアメリカ産の巨大なトラクター、農薬や化学肥料を使い効率的に作物を生産していった。(そういえば、TPPに参入するにあたり日本農業をこのような形にしようという声も聞いた。)

平均3万ヘクタールある大規模な水田農場は飛行場も装備し、種もみを空から蒔いていたというから、途上国とは言えないほど発展した農業を行っていたのである。

しかも、それら農業に関する器具や飼料も輸入に頼りきりという状況であった。当時はそれが当然だったと思うが、「自国のものは土地と気候だけ。」というまさに砂上の楼閣状況で生産をしていたということである。

 

輸入品目

比率

農薬

98%

化学肥料

94%

家畜飼料

97%

 

1989年時点でのキューバの食糧自給率は43%であった。ちなみに、現在の日本の食糧自給率はカロリーベースで39%である。

そんな中のキューバに壊滅的な打撃を与えたのが、ベルリンの壁崩壊である。

1989年のベルリンの壁崩壊と共にソ連も倒れると、キューバの状況は一変した。

89年に81億ドルもあった輸入額は92年に17億ドルとなり、輸入のための外貨は激減した。

その結果、GDPは48%も減少したのである。

しかも、これを好機と見たアメリカがキューバへの経済封鎖を一層強める。

1992年に「キューバ民主化法」を制定し、食糧や医薬品が主だった貿易額が70%減少した。さらに、93年3月にハリケーンが襲い掛かり、10億ドルの被害を出したのである。この影響により首都ハバナの作物や観光業のホテルは大きな打撃を受け、輸入能力の20億ドルの半分を復興で使うこととなってしまったのである。

さらに、アメリカはキューバへの締め付けを強めるため、96年に「キューバ自由民主連帯法」を制定する。

 

 

このような壊滅的な状況から、10年でキューバは自給率70%までに回復した。

そこまでの軌跡をこれから追っていく。

 

 

 

出典「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」2002年 吉田太郎著 出版・・・築地書館