・大きな危機感
ソ連崩壊により食料の面でキューバは大きな打撃を受けた。
それに伴い国民全体の摂取カロリーや体重は大きく低下した。これにより、92年には栄養不足が原因で約5万人が一時的に失明、孫のために老人が自分の食べ物を孫に回したため、老人の骨折が頻発した。しかし、医薬品も輸入に頼っていたためケガや病気になっても治療を受けられないことが多かった。
国民の栄養状態の変化 |
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項目 |
1989年 |
1994年 |
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摂取カロリー |
3100kcal |
1860kcal |
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体重(男女の平均) |
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-9kg |
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未熟児の割合 |
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18% |
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未熟児の割合(2.5kg未満) |
7.30% |
9% |
・ゲリラ農業
危機前、主に食料は配給によって賄われていたため国民の多くは食べ物に苦労しなかった。しかし、その配給がほとんど受けられなくなったので国民は自ら食料生産を行った。
家のバルコニー、中庭、マンションの屋上、からコンデンスミルクの空き缶、半分に切った古タイヤまで、ありとあらゆるところに土と種を入れ、ゲリラ的に農業をはじめた。
http://wellplan.ti-da.net/index_2.html
その後カストロは「食料問題が最優先」という非常事態宣言を発令し、自らはベジタリアンとなった。そこから、キューバはソ連式の現代農業から都市の自給に重点を置いた有機農業へと大転換を行っていった。
・都市農業での秘策「オルガノポニコ」
キューバは人口の八割が首都のハバナに集中していた。日本でいえば、東京にほとんどの人口が集中しているのと同じだ。
ハバナも東京都同じように地面の大半はコンクリートにより覆われていた。そこで国民はコンクリートの上にブロックや木材で囲いを作り、そこに土を入れ、農業をはじめた。
これが一般的な都市農業で行われている生産方法であるオルガノポニコである。
http://www.casa-de-cuba.com/relayessay/main020401.html
この方法の場合、ブロック塀に腰掛けながら草むしりなどの作業を行えるため、労働者への負担が非常に少なくて済む。いまでは、このオルガノポニコがハバナ市民の食を支えている。生産量、設置数ともに大きく増加したため、ハバナ市内の野菜の生産量も飛躍的に増えている。
生産量 |
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1995 |
1996 |
1997 |
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1uあたりの生産量 |
5kg |
15kg |
20kg |
・空き地を農地へ
非常事態宣言をしたカストロは同時にこうも言った。
「都市において耕されないままに置かれた土地は全廃する。」
こうして、食糧生産のために国有地を農民へと貸し出す「ウルバーナ」という政策が実行された。
・仮説・・・もし東京で同じことが行われたら。
参考文献 『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』2002年出版 吉田太郎著 築地書簡出版