韓国におけるアジア通貨危機 2010/6/18
108-085 大野 瑛介
先週の発表では企業部門の改革を扱った。今回は金融部門の改革を見て行く。
第一に、金融監督委員会の設置。これまで韓国では銀行を銀行監督院、総合金融会社を財政経済部が監督するなど、金融機関の監督官庁が分散されてきた。しかし98年4月に金融監督委員会と、翌年にその傘下に金融監督院が設置されることで、金融改革だけでなく、企業・財閥改革を推進する機構となった。
第二に、再生不可能な金融機関が短期間に整備された。総合金融会社は9社が営業停止、16社が閉鎖された。また、銀行では第一銀行とソウル銀行が外資に売却される。さらに再生不可能な5つの銀行をP&A方式(破綻銀行が閉鎖されるときに付保預金を健全な銀行に救済してもらう方式)で整理した。これらの処理の適用後、自己資本比率拡大のため、109兆ウォンの公的資金が投入された。
これらの改革は極めて迅速であった。金融機関に対する外資の進出は拡大したが、反面、失業の増大が挙げられる。銀行正規職員の34%(3万9000人)が離職した。失業率は99年2月に8.7%にまで増大した。
金融部門の改革が成果を上げ始めた99年。当時韓国第二位の財閥であった大宇グループの破綻。さらにアメリカの株式市場が低迷したことで、金融自由化によってアメリカ経済と連動性を高めた為、韓国経済も強く影響を受ける。
これにより追加の措置を取る必要に迫られた政府は、@経営悪化した6銀行に公的資金を注入。A金融持株会社による統合推進。B再生不可能な生命保険会社など比銀行金融圏での清算。以上の三つを追加で行った。
平川均・佐藤隆文(2003)『通貨危機後のアジア経済と改革の展望』名古屋大学大学院経済学研究科付属国際経済動態研究センター