H21.9.25

107-455 村山 欣央

高萩市・松岡城歴代城主

 

 今回は地元高萩市の松岡城(竜子山城)について触れたい。主に戦国時代から江戸初期にかけての城主の移り変わりに注目していく。

 

1.大塚氏時代

 大塚氏が手綱郷(高萩市)を所領することになったのは応仁23(1416)の上杉禅秀の乱で手綱の地頭が上杉方につき敗北し、領地が没収されたためだとされる。やがていわゆる戦国時代になると北は岩城氏、南は佐竹氏にはさまれ、大塚氏手綱郷はどちらかに従属する形となる。実際は岩城氏についていたが、6代大塚政成(生没年不明)は佐竹氏から「一家の例」を得る。そのため永禄元年(1558)には岩城氏領に侵攻した佐竹氏と岩城氏の調停に成功した。その後、佐竹氏の勢力が拡大すると、佐竹軍に従軍するようになる。慶長元年(1596)、岩城領折木城に知行替えとなる。

2.戸沢氏時代

 慶長7(1602)、佐竹氏や岩城氏が去った後、出羽角館(秋田県角館町)から来た戸沢家20代当主戸沢政盛(15851648)の領地となる。この時の石高は、松岡33千石と常陸小川7千石を合わせた4万石。松岡領は、北は勿来の関(福島県いわき市)、南は茨城県日立市成沢までだった。戸沢政盛によって竜子山城が改修され、名前を松岡城と改める。竣工年は諸説あるが遅くとも慶長12(1607)だとされる。この改修によって三の丸に平城が建設され、平山城になる。戸沢氏は元和8(1622)、出羽最上・村山26万石に国替えされ、松岡領は水戸藩領になる。

3.中山氏時代

 水戸藩附家老中山信正(信政)(15921677)が次の城主となるが、受領が何年かは諸説ある。受領時の松岡城は荒れていたとされる。松岡領は中山氏の知行地になるが、実際は水戸藩に入る収入が中山氏に入るだけ、というもので中山氏自体もほとんど松岡城にはいなかったという。

4.追記

 現在では、応仁27(1420)に城に住んだとされる大塚氏以前の人物は、伝説として残るのみで確かに存在したという資料がない。そのため、いつ、誰が築城したのかは明らかではない。

 現在高萩市は戸沢政盛ゆかりの秋田県新庄市、中山氏ゆかりの埼玉県飯能市と友好都市提携を結んでいる。

 

参考文献、URL

高萩郷土史研究会(1998)『茨城 高萩の歴史散歩』高萩郷土史研究会

http://ja.wikipedia.org/                                                                                             ウィキペディア