1月21日
107-387 藤澤桃美
履きものについて
明治になり、洋装が取り入れられるようになっても、足元の装いとしてはまだ草履や下駄が主流だった。靴が普及し始めたのは、大正になって靴の国内生産が開始されてからである。それでも一般市民は草履や下駄で暮らすことが圧倒的に多かったという。
草履などの履きものは、足を乗せる台に鼻緒を付けたもので、台が平底の草履や雪駄と、台に2~3本の歯を付けて地面から台底を浮かす様式の下駄とに大別される。基本の形はシンプルだが、台や鼻緒の素材、台の形や厚み、さらに下駄なら歯の高低や数などデザインは多種多様である。素材の質やデザインによって値段も大違いで、庶民はTPOに合わせて普及品と高級品を使い分けていた。
*草履
藁や竹の皮で芯を作り、その表面をパナマ草や布で包みこんで鼻緒を付けたもの。高級な布地や、刺繍を施したものが高級とされた。
*雪駄
草履の台に芯を入れず、台の裏に直に皮底をはったもの。皮底を2~3枚重ねたり、底に鋲を打ったものが高級とされた。
*下駄
歯のある木の台に鼻緒を付けたもの。台と歯が一体となった連歯のものと、別の材料で作った歯を差し込んだ差歯のものとに分けられる。連歯のものでは庭下駄、駒下駄など、差歯のものでは日和下駄、高下駄(足駄)、朴歯下駄などがポピュラーである。
下駄の素材は、桐、杉、松、檜など様々だが、桐と杉が多く、桐のものは高級品とされる。最上級の桐下駄は、左右対称に木目が揃うように、1本の桐から作られている。木目が平行に通ったものを柾目というが、その筋の本数が多くて間隔が狭いほど上質とされている。筋は年輪であり、その本数が多く幅が狭いというのは、樹齢を経ていて、さらにかたく締まっている材質であるからだ。また、左右の木目がぴったり揃っているものほど高級だった。
参考文献:文学ファッション研究会『むかしのおしゃれ事典』青春出版社 p.140-141