20101015

107-347 野村 雄基

バブルは繰り返しやってくる@

 

 2000年代の証券化バブルは、日本が経験した地価高騰のバブルと比べ格段に複雑になった。証券化とは、キャッシュフローを生み出す資産に値段をつけて転売する金融技術のことである。企業の配当でも、オフィス賃料、住宅の家賃、リース料でも、使用料を受け取る権利であれば、同じように証券化できる。将来キャッシュフローを積み上げて、金利で割り引いて現在価値に引き直し、販売価格を付ける。それらの権利を転売可能な証券に仕立て上げる証券化技術の進歩が、証券化市場を大きく育てた。

 

米国の証券化バブル

 欧米の投資銀行は過去10年近く、各種の証券化商品を次々に組成し、巨大な利益を上げ、わが世の春を謳歌してきた。巨大利益の源泉は、金融技術の複雑さにあった。複雑さが魔法のように信じられ、米国では低所得者でも住宅取得の夢が叶えられる仕組みともてはやされた。投資家からは、リスクが少なく収益性が高い金融商品という評価を得た。格付け機関AAAの最高品位を与え、当たり前のように投資家はそのラベルを受け入れていた時代が続いた。

 

その信認が崩れたのが2007年のサブプライム問題であり、2008年のリーマンショックであった。なぜ、人々はこの巨大なバブルに気付かなかったのか。人々がバブルの台頭を許してしまうのは、次のバブルはすべからく「別の顔」をしてやってくるからだと熊野英生は言っている。資産価格の上昇に寛容な人々が過去のバブルとの相違点を強調して、「今回はバブルにあらず」という論調を作り上げるのである。

 

バブルの特徴

 バブルには、楽観から悲観への急降下という特徴がある。サブプライム問題では、低所得者の返済不能が相次ぐようになると、格付けが下がり、複雑さへの信認が失墜した。住宅ローンを借りた人は「騙された!」と文句を言い、投資家も「こんなはずではなかった!」と不満を述べた。はじめは商品性の複雑さを了承して契約を結んでいたはずの人々が、事後的に根深い不信感に囚われるのである。以前は「複雑だから何だかすばらしい」と思っていた認識が、「複雑さに騙された。もう何も信じられない。」という相互不信に変わる。バブル崩壊後に市場の交換メカニズムが機能不全に陥るのは、人々がバブル期のときから実態から遊離した価格設定をしていたことに気付いて、表示価格が情報機能を失うためである。

 

 

 かつての日本の不動産バブルも、新しい証券化バブルも、どちらも事前と事後で、取引参加者の思惑ががらりと変わってしまう点で共通している。バブル生成過程では楽観が支配し、バブル崩壊後は悲観に縛り付けられてしまう。株価・地価のブームがやってくると、マーケット・プレイヤーの頭を陶酔感(ユーフォリア)が満たし、ブームが終わるときにはプレーヤーを憂鬱(デプレッション=不況)が襲う。このコントラストは、一見すると全く異なる性格に見えるが、その実、対の関係を成しており、片方がもう片方の原因になっていくことが多い。

 

参考文献

熊野英生『バブルは別の顔をしてやってくる』

日経プレミアムシリーズ(2010