2010108

107-347 野村 雄基

インターネット・バブル

 

インターネット・バブルとは、1990年代末期にアメリカ合衆国の市場を中心に起こった、インターネット関連企業の実需投資や株式投資の異常な高潮である。「ドットコム会社」と呼ばれる多くのIT関連ベンチャーが設立され1999年から2000年にかけて株価が異常に上昇したが、2001年にかけてバブルははじけた。通常、英語では「.com bubble(ドットコムバブル)」という。

 

背景

1990年代末期に、消費者との直接の双方向的通信を大量に処理できるe-コマースの可能性が現実化し、既存のビジネス・モデルを揺るがせた。このため多くの会社がインターネット関連投資に走り、これらのサービスを提供するIT関連企業に注目が集まった。さらに1998年から1999年にかけて持続した米国の低金利がベンチャー創業資金や投資資金の調達を容易にしたこともあった。

 

株価

通信関連銘柄が多いNASDAQ市場における株価総合平均指数は1996年には1000前後で推移していたが、1999年には2000を突破し、2000310日には絶頂の5048を示現した。同様の傾向は、米国株式市場だけでなく、欧州・アジアや日本の株式市場でも見られた。このような中で株式を公開したベンチャー企業創業者は莫大な富を手にし、シリコンバレーを中心にベンチャー設立ブームに拍車をかけた。米国ではドットコム・ブームと呼ぶ。当時、米国の経済学者はこのような現象を「ニューエコノミー」としてもてはやしたが、その後、連邦準備制度理事会の利上げを契機に株価は急速に崩壊し、2002年には1000台まで下落した。

 

崩壊

このような株価の崩壊のなかで、多くの通信向けビジネスを主とするIT関連ベンチャーは倒産に追い込まれ、2002年の米国IT関連失業者数は56万人に達した。ただ、ヤフーやアマゾン・ドットコム、イーベイなど一部の堅実なベンチャーのみが生き残ることができた。また、パソコンや通信設備の世界的な生産の減少と、これら製品に多く使われ、これら製品の生産増を当て込んでいた半導体の過剰設備、過剰在庫が不況に拍車をかけた。北米を中心に過剰な光ファイバーの敷設が行われ、ダークファイバ問題を起こした。

 

 

世界的影響
欧州諸国のなかでも英語圏で賃金コストが低かった小国アイルランドにIT関連企業の直接投資が相継ぎ、アイルランドはこのブームに乗って「ケルトの奇跡」と呼ばれる経済成長を達成した。バブルの崩壊はアイルランド経済にも痛手を与えたが、決定的なダメージを受けることはなかった。同じく英語人口が多いインドにもソフトウェア関連の投資が増加し、インド経済に好影響を与えた。

 

中国でも当時株式公開を行った聯想集団などのIT関連企業の株価はいきなり高値を付けた。その後、これら企業の株価は下落を続けたが、中国のITブームはようやく緒に付いたばかりであったので、大きな打撃を受けることはなかった。日本においてもIT関連株を中心に株価の相次ぐ下落が見られた。しかし、日本経済はバブル崩壊後からの長引く不景気により経済が低調であり、IT関連投資が部分的だったため、米国を中心としたITバブル崩壊の日本への影響は極めて限定的だった。

 

参考文献

Wikipediaインターネットバブル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB