2010年7月23日
107-347 野村 雄基
市場の狂気(2)南海バブル事件
南海バブル事件は、イギリス国中を巻き込んだ、人類史上最大のネズミ講であると言って良いほどのバブルを講じた事件である。政府も関与し、国中全体を巻き込んだこの大規模バブルはバブルの語源になったとされている。
南海会社の設立
南海バブルの時代のイギリスは、大英帝国の繁栄が長年続いたおかげで、市民は金持ちになっていたのに、投資機会が不足していた。そこで政府は、政府の国債元利払い能力に対する信頼回復のためと投資対象を生み出す必要性に迫られたのと相まって、1711年に南海株式会社を設立した。この会社は1000万ポンド近い国の債務を肩代わりし、その見返りに南米貿易権を独占的に与えられた。当時、東インド会社が、目覚しい利益をあげていたこともあり、南海株式会社の株に人気が集まった。株価が急騰することによって、突然、多くの人が金持ちになり、それを見た他の人々も「我も我も」とこのブームに殺到し、ますます株価を押し上げたのだった。
バブル企業の増加
南海会社だけでは、お金をドブに捨てたくてうずうずしている愚か者全員の欲求を満たすことはできなかった。そこで市場は、最初から参加できる新しいベンチャーを探し求めた。プロモーターたちは、次々と新規公開株を手がけることで、大衆の飽くなき欲望を満足させようとし、一見天才的なものから荒唐無稽なものまで、ありとあらゆるベンチャーが市場に持ち込まれるようになった。こうして打ち上げられた1000近いプロジェクトはいずれも突飛さといい加減さでは勝るとも劣らないものばかりだったが、巨万の利益を約束するという点だけは共通していた。これらの多くはまるで水泡のように、大体一週間ぐらいですぐに消えていったためこういったプロジェクトを「バブル」と呼ぶようになった。
バブル会社に投資した人たちの皆が皆、投資先の会社の事業計画が実現可能と信じていたわけではない。それらのアイデアが可能だと信じるには「分別」がありすぎたのである。しかし、誰もが「自分たちよりもっと愚か者が存在する」という理屈を信じて疑わなかった。株価が上がり、買い手がつけば、その前に買った人たちは利益を得られる。したがって、ほとんどの投資家は、自分たちの行動はバブルが膨らんでいる間は「全く理にかなったもの」だと信じていた。
バブルの崩壊
ほとんどのバブル会社は投機熱に水をさすことなく潰れていったが、本当の破局は1720年の8月に南海会社そのものの、取り返しのつかない失策によって起きた。それは経営者や幹部社員たちが自ら仕組んだものだった。彼らは株価が会社の実体とは何の関係もないことに遅ればせながら不安を抱き始め、夏の間に自分たちの保有する株を手放したのである。このニュースが漏れたために、株価は下がり始め、ほどなく株価は急落しパニック状態に陥った。図1は南海会社の劇的な上昇と推移を表したものである。政府の役人は信頼を回復しようと無駄な努力を払ったが、多くの人が破産し、イギリス経済は大混乱となった。
図1:南海会社株価の推移
参考文献
バートン・マルキール『ウォール街のランダムウォーカー』日本経済新聞社(2007)