2010年7月2日
107-347 野村 雄基
オランダのチューリップバブル
貪欲さが一世を風靡するというのが、歴史上の異常な投機ブームに共通する基本的要素である。お金欲しさのあまり、市場参加者は全員、ファンダメンタル価値理論をあっさりと投げ捨て、砂上の楼閣を築くことで巨万の富が得られるという、疑わしいがスリル満点の考えにとりつかれる。このような風潮が国中に蔓延することもありうるし、実際そうなった例も多い。その1つがオランダのチューリップバブルである。
オランダのチューリップバブル
このバブルの進展は三段階に分けられる。需要の不均衡による高値がついた第一段階、投機家が参入してきた第二段階、そして元手をもたない庶民を巻き込んだ第三段階である。この第三段階に至ってバブルの様相を呈し、暴落と混乱を招いた。
第一段階 希少性による高値
1630年代のオランダは、30年戦争で荒れる中欧を尻目に、繊維産業を中心とするブーム経済(好況期)に入っていた。オランダ東インド会社のバタビア(インドネシア)への入植は成功し、同社の株式は17世紀を通じて上昇を続けた。オランダは欧州一の経済力を手に入れ、消費天国になっていった。そのオランダにトルコからチューリップが入ってきた。チューリップはオランダの土地柄で良く育ち、やがて異国趣味を求める金持ちたちが富の象徴として競って求めるようになった。
第二段階 投機家の参入
チューリップ熱はゆっくりと蔓延していき、はじめは、あたかもアパレル業界が来年流行する洋服の生地や色、スカート丈を予測するように、チューリップ球根商人たちが来年人気の出そうなタイプの花びらを当てようとしたことから投機が始まった。次いで商人たちは、値が上がるのを見込んで、思惑で大量に球根を仕入れるようになった。チューリップ球根の値段は見る見るうちに上がり始め、球根が高くなればなるほど、チューリップは確実に儲かる投資対象に見られるようになった。
第三段階 大衆の参加
チューリップで短期間に莫大な富を得られるという噂が職人や農民などに広がると、彼らが徐々に市場に参入してきた。元手を持たない彼らはまず自分でも買える程度の球根から始めた。その程度の品種でも値は上がり、転売で利益を得るものが続出した。そしてそれに伴い、市場に大きな変化が起きた。これがコールオプション*に似た手法の開発である。これによりチューリップ市場は急激に加速していき、海外からも球根投資が広がり、バブルは絶頂を迎えることになった。
バブルの崩壊
しかし国中が踊ったバブルもついに終わる日がやってくる。1637年1月にチューリップの球根が20倍に跳ね上がった後、2月にはそれ以上の幅を持って急落した。これはある男がいつものように転売しようとしたところどういう訳かできなかったことから、パニックが始まった。球根の売買には多額な信用売買が行われていたため、他の業者に恐怖心を起こさせるには充分だった。誰もが直ぐに売ろうとしたが、もはや買い手はなく、どうすることもできない。暴落の波が社会全体に広がり、人々はパニック状態となり売りが売りを呼ぶことになる。国や裁判所が救済に乗り出すが、時既に遅く、暴落は誰にも止めることは出来なかった。
*コール・オプションとは、その持ち主に決められた価格で、一定の期間中に、チューリップ球根を買える権利を与えるものである。オプションを購入する人は市場価格の15%から20%に当たる額を、オプション・プレミアムとして支払うことになる。たとえば、現在100ギルダーのチューリップの球根をこの値段で買えるコール・オプションが20ギルダーで購入できるとしよう。もしこの球根の値段が200ギルダーに上昇したとすると、コール・オプションの持ち主は当然オプションを行使する。つまり、その人は球根を100ギルダーで勝つと同時に、市場で200ギルダーで売るのである。これによってオプションに投資した人は、元本を4倍に増やせたことになる。もし直接現物を売り買いするだけなら、元本は2倍にしか増えなかった勘定だ。コール・オプションを用いれば市場に参加するための元手はずっと少なくすみ、投資基金を有効にすることができる。
参考文献
バートン・マルキール
『ウォール街のランダムウォーカー 原著第9版』日本経済新聞出版社(2010)
Wikipedia チューリップバブルhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB