平成211218

『趙高2

106-381伴 明典

 

偽りの報告

 趙高は、二世皇帝に偽りの報告をしていたが、軍は敗走を続けとうとう秦の領土は戦国時代と同じになってしまった。

それ以降、趙高は病と称し朝見しなくなった。その後、二世皇帝に賊の件がばれ叱責されそうになった。

それを、おそれた趙高は女婿に命じ二世皇帝暗殺をたくらんだ。趙高は、二世皇帝の近侍の長を抱き込み、宮中に賊ありと偽り宮殿に入り込んだ。

衛兵に止められたが切捨て進んだ。

 

二世皇帝の最後

 部隊が入ってくると中の者は驚き、ある者は格闘し、ある者は、逃げ出した。

格闘したものは、すぐに殺され、趙高の女婿と近侍の長は二世皇帝に矢を放った。

二世皇帝は、左右の者を呼んだが誰も来なかった。

 ついに、追い詰められた二世皇帝は、命乞いをした。王になりたい、万戸候になりたい、妻子とともに民になりたい、と。

すべて断られた二世皇帝は自害して果てた。

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院

林 秀一 (1967)『十八史略 上』  明治書院