平成21年11月27日
『先秦時代の刑罰2』
106-381伴 明典
一番軽い刑
黥面とは墨刑のことで、古代刑罰の一番目のものである。顔面などに針を刺して字を刻み、その後に、墨をいれ永遠に消えなくする。
もともと、三苗(少数民族)の刑のひとつであったが、堯が討伐した際これを象刑にあらため、墨刑者には黒い頭巾をかぶせられた。
禹の時に肉刑が用いられるようになったが、他の五刑と比べると黥面は一番軽い刑である。
異民族の文化
入れ墨という文化は漢民族にはない異国の文化である。文献には文身という表現でしばしば見られた。
越王勾践も入れ墨をしていて、記録には髪を断ち、入れ墨をしていたとある。
また、北方の騎馬民族の匈奴にも入れ墨の文化があり、漢の使者で入れ墨のないものは単于(王)の居所に入れないという決まりがあった。
このように、入れ墨は漢民族の文化とは異なるものであった。
刑罰に、黥面を用いることは一種の追放であると考えられる。黥から死罪まで軽重の段階があるが、刑の軽重は、追放の軽重であると考えられる。
顔に入れ墨を施すということは漢民族からの追放という意味がこめられている。
後に秦の法律は漢にも受け継がれるが、文帝期に肉刑が廃止された際、黥面の刑も消えてなくなった。
その代わりに、用いられた刑が断髪であり、これも異民族の文化であったことから黥面は漢民族からの追放という意味がこめられていた。
秦:黥面城旦
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漢:コン鉗城旦
参考文献
冨谷 至
(1995) 『古代中国の刑罰』
王 永寛 (1997)『酷刑−血と戦慄の中国刑罰史』鞄ソ間書店