平成21年10月30日
『紂王』
106-381伴 明典
二つの炮烙
紂王は寵妃妲己と処刑を楽しむために、炮烙という刑を編み出した。炮烙には二つの説がある。
ひとつは、銅製の格子版。紂王は銅製の格子を造りそれを炭火で熱し、その上を罪人に歩かせた。
罪人は、熱せられた銅製の格子の熱さに耐え切れず炭火の中に落ちた。それを見た、紂王と妲己は腹を抱えて笑った。
この説は、『史記』、『荀子』、『呂氏春秋』に記録されている。
もうひとつが、銅製の柱版。油を塗った銅柱を炭火で熱し、その上を罪人に歩かせるものであった。罪人は、熱さや油でうまく歩けず炭火に落ちた。ちなみに、炮烙は渡りきったものは無罪とされた(生き残るものはいないが)。こちらは、『史記』列女伝より
炮烙は紂王のみならず、後世の暴君に受け継がれている。
烹煮
周王朝の始祖西伯が紂王に幽閉されていた時、その子の伯邑考は人質として紂王の下にいた。
紂王は伯邑考を大鍋にほうり、羹をつくり西伯に与えた。そして、西伯を自らの子を食したと罵倒した。これが、人を煮た初めての例である。
煮られた人間は肌が赤くなるという説と白くなるという説があるが、白くなるようである。
以上のものは紂王が考案したとされている刑罰である。
参考文献
王 永寛 (1997)『酷刑−血と戦慄の中国刑罰史』鞄ソ間書店