平成211016

『凌遅』

106-381伴 明典

 

もっとも無残な刑罰

中国古代の刑罰のうちもっとも残酷な刑は、凌遅である。もともとは陵遅と書き、山の緩やかな傾斜を意味していた。

どんなに高い山でも緩やかな斜面なら山上までいけるからである。

後世、凌遅を刑罰の名に使った、その緩慢性からきている。すなわちできるだけゆっくりとした速度で人間を死刑に処すのである。

ゆっくりとは、一刀ごとに肉を切りそいでいき、ほぼそぎ終わったところで腹を割き、首を断ち、罪人の命を奪う。

 

刑として、初めてその名が出たのは五代十国時代の宋で、斬首に並ぶ刑とした。しかし、宋の時代では刑はあったが執行はされなかった。

また、その残酷性から廃棄せよと主張した人物もいた。

 

吹き出物の薬

陵遅の刑では三千六百回ほど刀で切られ、背中の皮膚は一本一本細かい麻糸のようになった。

このように、細かく切られた肉は吹き出物の薬になると信じられ、処刑が終わった後肉片は人々に薬の原料として売られた。

この刑は清代まで続き、清では反乱の領袖の刑とした。この刑は、1905年に廃止されるまで続くことになる

 

 

 

参考文献

王 永寛 (1997)『酷刑−血と戦慄の中国刑罰史』鞄ソ間書店