平成21109

『趙高』

106-381伴 明典

 

李斯(りし)殺害

 趙高と李斯(りし)の関係は悪化していた。そこで、趙高は二世皇帝が酒宴を開き楽しんでいる時、李斯に「陛下はおひまであられるから、政務を奏上されるが良い」といい、李斯に奏上をしむけさせ、二世皇帝の酒宴を邪魔させた。二世皇帝はたいそう立腹した。

 そこで、趙高は二世皇帝に讒言を行い李斯に偽りの罪をなすりつけた。李斯は偽りの罪を着せられ、鼻切りなどの刑を受けた後、市中に出され腰から二つに切られてしまった。

 

 

馬鹿

 李斯を殺して権力を独占しようとした趙高であったが、他の者たちの反発にあうことを畏れた。

 そこでまず、二世皇帝に鹿を献上して、「これは馬でございます」と申し上げた。

皇帝は笑い他のものに聞いてみると、ある者はだまり、ある者は鹿だといった。趙高は鹿と言った者を後でひそかに刑罰に処し殺してしまった。

 それより後、秦の家来は趙高の権力を恐れて趙高の過ちを言うものはいなくなった。

 

補足:この話が馬鹿の語源として最も有名であるが確かではない。サンスクリットのmahaの音写である莫迦からくるという説が主要な国語辞典で採用されている。しかし、真実は不明

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院

林 秀一 (1967)『十八史略 上』  明治書院