平成21年10月2日
『陳勝2』
106-381伴 明典
反乱鎮圧
二年の冬、陳勝が派遣した周章らが数十万の兵を率いてせまって来た。
今まで、反乱を甘く見ていた二世皇帝は大いに驚き、群臣と「どのようにすればよいか」と相談した。
税をつかさどる役職、小府の章邯というものが、「盗賊はすでに都に迫り、大部隊で強大であります。
今、近県の兵を徴発しても間に合いません。酈山には囚人が多くいます。どうかこれらを恩赦していただきたい。武器を授けて周章の兵を討ちましょう」と進言した。
そこで、二世皇帝は天下に大赦を行った。酈山には二十万人の囚人がいたので、二十万の軍隊が出来上がった。
章邯は、即席の軍隊で周章の軍を迎え撃ちこれを敗走させ、曹陽で殺した。二世皇帝はさらに援軍を送り、章邯を助けて盗賊を討たせた。
その後、章邯は、陳勝や項羽の叔父の項梁などの楚出身の盗賊の名将たちを次々と破っていった。
参考文献
吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院