平成21年7月24日
『陳勝』
106-381伴 明典
閭左の人
陳勝、字は渉。若い時に人に雇われて畑を耕していた。
ある日、陳勝は、同僚にもし自分が出世したらお前たちのことは忘れないだろうといった。
しかし、人に雇われている身でどうして出世できるのかと笑われた。
その頃、(すでに人民を徴発し尽くし)陳勝のような村の左側に住んでいる賦役免除の貧民まで徴発して、労働に当たらせた。
陳勝反乱
陳勝と呉広は守備隊長になった。任務地に向かう途中、大雨にあって、交通が途絶した。
そこで、部下を集めて「君たちはもう期限に遅れた。軍法では死刑に相当する。もはや命はない。ここはひとつ博打を打って、華々しく名をあげるまでだ。王侯将相、寧くんぞ種あらんや」と。
部下はみなこれに従った。そこで、陳勝は自らを秦の公子と偽り国を建てた。
参考文献
吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院