平成2173

『胡亥2

106-381伴 明典

 

 

 先帝の事業

 先帝は咸陽の朝廷が小さいとされて、阿房宮を造営になられた。

ところが、室堂が完成しないうちに、先帝はもう御されたので、陵墓を作るために、作業を中断した。

 胡亥は咸陽に戻ってきた時言った。今、阿房宮を捨てて、完成しなければ先帝の事業は失敗であったと天下に明らかになってしまう。

 胡亥は、始皇帝の巨大な陵墓を作ったばかりであったが、阿房宮建設という

巨大事業をまた起こしてしまったのである。

 また、国外については、遊牧民族を始皇帝の計画どおりに実行した。強兵五万を首都に集めたため馬などの食料を集めるため農民から食料を調達した。

そのせいで、首都付近の農民は、生産した農作物が食べられなくなった。

 胡亥への不満は募っていった。

 

 

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院