平成21612

『胡亥の巡遊』

106-381伴 明典

 

胡亥の巡遊

 二世皇帝の胡亥は、側近の趙高に言った。「朕は年少で今始めて即位したばかりだから、人民は信服していない。

先帝は郡県を巡行されてその強さを示され、海内を感服された。朕が今安閑として巡行もしなければ、弱体と見られ、天下の民を養うことはできないだろう」と。 

 かくして、胡亥は春に巡遊した

 

碑に名を刻む

 胡亥は、宰相に李斯を連れて河北に至り海を沿って、会稽まで至った。会稽

山は以前、始皇帝が碑を建立したところである。

 胡亥は、始皇帝が建立した石碑に自らの詔を刻み込んだ。そして、随行した大臣や従者の名を刻んだ。そして、始皇帝の盛徳を明らかにした。

 今、胡亥は碑に名を刻んだわけであるが、胡亥も皇帝と称しているため後世の者がこれを見たとき胡亥が建立したものと勘違いされる可能性があった。そこで、碑に胡亥が碑に名を刻み込んだ理由を書き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院