平成2165

『胡亥2

106-381伴 明典

 

二世皇帝元年

 二世皇帝の元年、皇帝は21歳であった。胡亥のお気に入りの趙高は宮殿の門をつかさどる郎令中になり、信任されて政事にあたった。

 

始皇帝の廟の犠牲について

 胡亥は、詔を下して、始皇帝の廟の犠牲、及び山川百祀の礼物を増させ始皇帝の廟を尊重することを審議させた。

 群臣は謹んでいった。昔の制度では、天子は七廟、諸侯は五廟、大夫は三廟ありました。

始皇帝の廟を極尊の廟として別扱いにし、穆昭を交互に入れ替えて七廟にしましょうと。

 これにより、始皇帝の廟は尊重された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院