平成21529

『胡亥』

106-381伴 明典

 

始皇帝の埋葬

 胡亥は、帝位をついで二世皇帝となった。胡亥はまず始皇帝を酈山の墓に葬った。

酈山とは、咸陽の東にある山で、始皇帝が皇帝の位についた時に作った墓がある山である。

 

始皇帝の墓

 始皇帝の墓は、天下の徒刑者七十万人で作られた墓である。これらを使役し、地下の水脈に達すること三度というほど壮大なものであった。

始皇帝を埋葬するに当たって、墓の中に宮殿をつくり、百官の席を設けた。また、珍奇な宝を始皇帝の宮殿から運び込み墓を満たした。

 

墓のつくり

    盗賊を防ぐため至るところに矢の罠が仕掛けられた

    水銀を流し川や海を作り機械で流し込む仕組みにした

    上には天文を作り、下には地理を備えた自然を作った

    人魚の膏を燭に使用して坑内を照らし消えないようにした

 

こういった墓の仕掛けや造りは職人によって作られたものである。そこで、仕掛けを知っている職人に生きてもらわれては困るため職人は墓に埋められた。     

また、始皇帝の後宮にいた子のいない女を外にだすのはよろしくない、と意見が出たので子のいない女は始皇帝と共に墓に入れられた。

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院