平成21522

『始皇帝の巡遊4

106-381伴 明典

 

喪を発せず

 始皇帝が崩御したのは、国都の外であったため、李斯(りし)は諸公子の間や天下に変乱が起こるのではないかと心配して、喪を発しなかった。

始皇帝の屍は車に載せ、始皇帝に生前寵愛されていた宦官を乗せた。始皇帝に献上された食事や、百官が諸事を奏上した際、宦官が屍となった始皇帝に変わり処理した。

 

趙高、書を偽造する

 趙高に幼い頃書物を教えてもらった胡亥は趙高を慕っていた。そこで、趙高は胡亥と丞相の李斯(りし)とひそかに謀って、始皇帝から託された書を破り捨て、胡亥を皇帝とする、と書を偽造した。

また、邪魔者になる公子扶蘇と後見人の蒙恬(もうてん)を始皇帝の名を使い、かつての罪を責め死ぬように命じた。そのご、国都に着き喪を発し二世皇帝が誕生した。

 

始皇帝の屍は、猛暑により腐敗し臭気がはなはだしかった。中国を統一した一代の英雄の最期は見るも無残なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院