平成21年5月15日
『始皇帝の巡遊3』
106-381伴 明典
始皇ロウヤに至る
始皇帝は、呉を出発し揚子江を渡り海に沿って北上し山東のロウヤに至る。そこで、不老不死の薬を探す、徐市らにあった。
徐市らは長年、不老不死の薬が見つけられず、また、莫大な費用もかかっていたため始皇帝に譴責されるのを恐れ偽って申し出た。
「蓬莱山の薬は入手できます。しかし、大鮫に苦しめられるために、蓬莱山に至ることができません。大鮫を殺してください」と。
そこで、始皇帝自ら石弓を持ち、大鮫を探した。北へ進んだところ、大鮫を発見し、これをしとめた。
始皇帝病死す
始皇帝はその後、西に進み、山東省の平原津で病にかかった。始皇帝は、死を察知しこれを憎んだ。
群臣もあえて始皇帝の病状に触れるものはいなかった。
始皇帝の病はますますひどくなった。そこで、玉璽を捺した親書をつくり公子の扶蘇[1]に賜ることにした。
この親書は、厳封され、宦官[2]の趙高に託したが、趙高はこれを懐にとどめ届けなかった。
病が酷くなり始皇帝は前210年7月、沙丘にてついに崩御した。
参考文献
吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院