平成2151

『始皇帝の碑』

106-381伴 明典

 

碑を立てた理由

 始皇帝は、天下に威光を示したかった。そこで、始皇帝は自ら各地を回り、被征服民に自らの威光を見せ付けた。

そして、始皇帝は、自分の功績を書き込んだ碑を作り巡遊の証しとして残した。

 後に、二世皇帝(胡亥)も始皇帝の碑に自らの功績を書き足した。

 

碑の現状

碑は、全てあわせて7基存在したが現在では現存するものは2基になってしまった。

失われた5基は、漢代から北宋(1127)代にかけて次々と失われてしまった。壊れた、5つの碑は、災害にあったり、人の手によって壊されたりして消えて行った。

現存する碑は、始皇帝が紀元前219年に泰山に立てた泰山刻石と瑯琊台刻石のみとなった。

また、現存するといっても長い年月を経た碑は保存状態が非常に悪く、判読可能な部分が非常に少なくなっている。

残っている部分は二世皇帝の部分のみで、始皇帝が刻んだ部分は判読不能、または壊れたりしてなくなってしまった。

現在、泰山の碑の一部は、泰山の麓にある泰安博物館に、瑯琊台の碑の一部は中国歴史博物館に厳重に保存されている。

 

 

 

参考文献

Wikipedia:始皇七刻石

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E4%B8%83%E5%88%BB%E7%9F%B3