平成21年4月24日
『始皇帝の巡遊2』
106-381伴 明典
始皇帝最後の巡遊
卦により巡遊を決めた始皇帝は、B.C.210年に咸陽を出た。左丞相の李斯はお供をし、右丞相の去疾が留守をした。
次男の胡亥は始皇帝に愛されていたので、父を慕って行きたいと願い出た。始皇帝もこれを許した。
十一月に湖北省の雲夢沢[1]に至り、遥か湖南の九疑山を望んで、そこに葬られている虞舜[2]の霊を祀った。
それから、東へ進み浙江省に入り会稽山に登り大禹[3]を祀り、遥か南海を望みみる地点に石を立てて、秦徳を立ててこれを刻み込んだ。
石には、今までの始皇帝の功績が書かれた。
・
法律を作り治績の本源をたずねた
・
正義の威光をもって悪事をはたらく六国を滅ぼした
・
上下皆法律に従い国が治まった
など
参考文献
吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院