平成21424

『始皇帝の巡遊2』

106-381伴 明典

 

 

始皇帝最後の巡遊

 卦により巡遊を決めた始皇帝は、B.C.210年に咸陽を出た。左丞相の李斯(りし)はお供をし、右丞相の去疾(きょしつ)が留守をした。

次男の胡亥は始皇帝に愛されていたので、父を慕って行きたいと願い出た。始皇帝もこれを許した。

 

十一月に湖北省の雲夢沢(うんぼうたく)[1]に至り、遥か湖南の九疑山を望んで、そこに葬られている虞舜[2]の霊を祀った。

それから、東へ進み浙江省に入り会稽山に登り大禹[3]を祀り、遥か南海を望みみる地点に石を立てて、秦徳を立ててこれを刻み込んだ。

 石には、今までの始皇帝の功績が書かれた。

 

    法律を作り治績の本源をたずねた

    正義の威光をもって悪事をはたらく六国を滅ぼした

    上下皆法律に従い国が治まった

など

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院

 



[1]古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。楚で神聖視され祭祀が行われる

[2]中国の神話の天子。尭を補佐し、位を受け継いだ

[3]治水の功により舜より位を受け継ぐ。その後夏王朝を立てる