平成21417

『始皇帝の巡遊』

106-381伴 明典

 

最後の東方巡遊へ

 前209年、東に隕石が落ちた。人民のある者が石に刻んだ。「始皇帝が死んで、その地が分散するだろう」と。

始皇帝はこれを聞いて怒り御史を派遣して一人一人糾問したが誰一人罪に服する者がいなかった。

そこで、石の傍らにいた人をことごとく捕まえ殺してしまった。また、その石も溶かした。

 

秋、関東から使者がやってきた。その使者は途中、不思議な者に出会った。

その者は、「わたしのために、この璧を咸陽にある滈池の水神に送ってくれないか」とそして続けて言った、「今年は祖龍が死ぬであろう」と。

使者がそのわけを聞くと、その者は璧を置いて忽然と消えてしまった。

 

 使者はそのことを始皇帝に上聞した。使者を退け始皇帝は一人「祖龍は人の祖先であるから、皇帝のわしとは関係があるということになる」と。

この璧を調べたところ、この璧は以前始皇帝が揚子江を渡ったときに揚子江の神を祀るために沈めた璧であった。

 このことを、占ってみさせると、巡遊すれば吉、という卦が出た。翌年、始皇帝最後の巡遊が始まる。

 

 

 

 

 

参考文献

吉田賢抗 (1973)『史記 一 (本紀)』 明治書院