平成21年2月8日
『始皇帝の土木事業』
106-381伴 明典
万里の長城
始皇帝の大土木事業として、阿房宮と並んで有名なのは万里の長城である。今日の観光名所になっている万里の長城は、始皇帝の築いたものと思われているが、あの石造りの壮大な城壁は明代のものである。
そもそも、長城は始皇帝以前にもあったし以後も長く存続した。長城は、春秋時代の斉の長城が最も古く、戦国時代になると、楚、魏、燕、趙などが隣国との境界に長城を築いた。
秦では、西方の蛮族の土地を手に入れ、その土地を守るために長城を築き、胡を防いだと、『史記』の匈奴列傅に記してあるのが最初である。それから、秦は、各国を併呑した際、既存の長城をつなぎ、修築、増補をおこない全長二千数百キロの長城が完成したという。
その後、漢代(前202〜220)には長城が延長され、北魏(386〜535)や北斉(550〜577)時代には長城が補強され、明代(1368〜1644)には最長になった。
秦代の長城は、現在見られるような明の石造りの長城とは異なり、版築(板で囲み土や砂利を入れ上から押し固める)や泥レンガで造られていた。立派なつくりではないが、明の長城より北に設置したので、北方民族の侵入を防ぐのに大きな役目を果たした。
参考文献
樋口隆康 (1996)『始皇帝を掘る』 学生社
事跡:http://www.geocities.jp/aydahn42df5/shikou3.html