平成21年1月23日
『始皇帝の政策6』
106-381伴 明典
東方巡遊
始皇帝は天下を統一した翌始皇27年(B.C.220)、祖霊の地に統一を報告した。ついで三年目から、東方の視察に出かけた。東方巡遊は民情を視察するのと同時に皇帝の権威を誇示する目的もあった。そこで、各地で祭祀を行なったり、泰山や、琅邪などで自分の功績を石に刻んで永遠に記録させたりした。
28年には、嶧山に登り碑を立てた。次に泰山に登り封禅した。南の琅邪山では、三ヶ月もの間逗留し、民三万戸を移住させ、十二年間税を免除した。
始皇帝は、ここで一人の男と出会っている。斉の徐市(じょふつ)、つまり徐福である。徐福は、三神山の話を行った。東方には海中に三つの神山、蓬莱、方丈、エイ洲があって、そこに仙人が住み、不死の薬を持っていると語った。そして、自分に童を与えてくれたらそこに言ってとってくるといった。これを聞いたし皇帝は、子ども3000人と技術者、五穀の種子を携えて三神山に向かわせた。しかし、徐福は仙薬を入手できず、始皇帝の元には戻らなかった。
東方巡遊の意味
国王が新しく支配した領土を巡遊することは当然のことであった。ただし始皇帝の場合は、東方に五回にわたって行っている。もともと、始皇帝は、西方のアジアの人間であった。海は始皇帝にとって未知の世界であった。中国の東の果てまで自分の領土であることを自分の足で実感することは爽快だったに違いない
参考文献
樋口隆康 (1996)『始皇帝を掘る』 学生社