平成20年12月5日
『始皇帝の政策3』
106-381伴 明典
文字の統一
始皇帝は、李斯(りし)に命じ文字の統一を行わせた。これは、使われている文字が地方によって書体が異なっていたためである。それによってできたのが、小篆である。この文字の統一は、中央集権的な官僚政治を行うには欠くことのできないものであった。
小篆とは?
現在、小篆が見られるのは日本国旅券(パスポート)などがある。
度量衡の基準の統一
秦国内や新しい占領地で行われた度量衡の統一を全国規模で行った。この基準は、以前商鞅が行ったものと同じで始皇帝が踏襲したものである。発見された秦簡中には度量衡器の規定があり、一定限度の誤差を越えると罰則があったことが明らかになっている。度量衡の統一は財政・経済活動の基礎であり重要なものであった。
樋口隆康 (1996)『始皇帝を掘る』 学生社
伊藤道治 (1977) 『中国社会の成立1』講談社
宮城谷昌光 (2008)『戦国名臣伝』 文春文庫
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