平成20103

『始皇帝』

106-381伴 明典

 

生命の危機

 始皇帝は生まれてから多くの危機があったが、乗り越えてきた。

 

B.C.238嫪あい(ロウアイ)の乱

 始皇帝()は秦王になった頃は幼かったので、政治は母の太后と呂不韋の二人が取り仕切っていた。

即位九年、政が二十二歳になったので、成人式を挙げようとした。その時、嫪あいが反乱を起こした。

 嫪あいは、太后のお気に入りで、次第に勢力をつけ、長信候に封ぜられた。

しかし、始皇帝が親政をするようになると、自分の影響力がなくなると思ったのか始皇帝暗殺を目論んだ。

しかし、反乱の計画を事前に察知した始皇帝は、嫪あいを攻め、一族郎党を晒し首にした。

 

B.C.227 荊軻による暗殺(未遂)

 燕の太子の丹は政が幼い時の仲良しだった。しかし、後に人質として秦に行った際政に冷たくあしらわれたので恨みを抱くようになる。秦が、燕を脅かすようになったので丹は荊軻を使者として秦に送り始皇帝を暗殺させようとした。

 面会の際に、手土産として燕の肥沃な土地を割譲し、その地図と始皇帝の咎めを受けて亡命していた武将の首を用意した。荊軻は地図の中に隠していた匕首で始皇帝を殺そうとしたが果たせず殺されてしまった。

 

 始皇帝はこのように数々の危機を乗り越えてきた。

 

 

参考文献

 

樋口隆康 (1996)『始皇帝を掘る』 学生社