平成20年7月18日
『斉の景公』
106-381 伴 明典
景公の擁立
崔杼は、荘公を亡き者にした後、荘公の弟の景公を即位させた。しかし、崔杼はその後政敵に邪魔をされて命を落とした。景公が即位して3年には、国内はまとまった。
その後、斉は晏嬰のもと桓公以来の栄華期を迎えた。しかし、桓公と違い景公は、あまり優秀ではなく贅沢を好むものだったのでこの繁栄は晏嬰の力によるものである。
晏嬰の機転
斉で飢饉が起きたので、晏嬰は民のために国庫を開いて穀物を放出するように公に願い出たが公は許さなかった。ちょうどその頃、路寝の台を建設しているときだったので、晏嬰は役人に命じて賃金を高くし台の規模を拡大し、完工期日も先延ばしされた。三年たって台が完成する頃民は救われた。こうして、上は君主が台に遊んで満足し、民は十分に食べられるようになったのである。
晏嬰は、公共事業を口実に民を救ったのである。
参考文献
谷中信一 (2003)『晏子春秋 下』 明治書院
水沢利忠 (1990) 『史記 五 (世家上)』明治書院