平成20年7月11日
『崔杼の反乱』
106-381 伴 明典
崔杼の反乱
晏嬰は崔杼が反乱を起こし、荘公が死んだことを知った。そこで、晏嬰は崔杼の家に行った。従者は、あなたは、死ぬつもりですか?と聞いたが晏嬰は、「君が国家のために死んだのなら私も死にましょう。君が国家のために逃亡したなら、私も逃亡しましょう。もし自分のことのために死に、自分のことのために逃亡したのなら、誰が君に殉じようぞ」といい、門が開かれると入り、服喪の姿になって、公の遺体を抱きかかえて哭泣し、三度三踊の礼をおこなってから外に出た。その際、崔杼の部下が、晏嬰を殺すように言ったが晏嬰は民から好かれていたので殺すことができなかった。
崔杼の脅し
崔杼は、景公を立て自らは宰相になった。崔杼は諸々の将軍や、大夫などを呼び寄せて脅し、忠誠をするように盟約させた。忠誠を誓わないものは殺した。
しかし、晏嬰は忠誠を誓わなかった。崔杼は晏嬰を殺そうとしたが、周りのものに晏嬰は有道の士だから殺してはならないと止められたので結局殺せなかった。普段から、正しい行いをしていたので助かったのである。
参考文献
谷中信一 (2003)『晏子春秋 下』 明治書院
水沢利忠 (1990) 『史記 五 (世家上)』明治書院