平成2074

 

『晏子と荘公』

106-381伴 明典

 

荘公

 荘公は、初めのうちは晏子を重宝し褒賞を与えていたが、荘公自身は贅沢を好み、諫言を嫌った。晋の貴族が反乱を起こして敗れ、斉へ亡命してきたときは、これを歓迎して復讐に手を貸そうとして晏子に諫言された。これを境に晏子が疎ましくなり晏子を重用しなくなった。荘公から必要とされなくなった晏子は潔く官を退き、荘公から貰った宝を返し、東で畑を耕して暮らした。

 

荘公の最期

 荘公には崔杼という宰相がいた。荘公は、気性が荒く礼を軽んじ武を好む性格だったので霊公に廃嫡された。しかし、霊公の死後、崔杼に擁立され君主になることができた。

しかし、荘公は長い間崔杼の妻と密通していて崔杼に恨まれていた。ある日、崔杼の家で崔杼の妻と密通していたところ、崔杼に反乱を起こされ荘公は殺されてしまった。

 潔く官を退いていた晏子はこの反乱に巻き込まれずにすんだのである。

 

 

 

 

 

参考文献

谷中信一 (2003)『晏子春秋 下』 明治書院

ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8F%E5%AC%B0