平成20年6月20日
『晏子の智謀』
106-381伴 明典
景公勇士を養ひて臣君の義無く晏子、諫む
景公は、公孫接(こうそんせふ)・田開彊(でんかいきょう)・古治子(こやし)の三人の勇士を臣としていた。この三人は、勇気と力があり虎を素手で倒したことがあるほど有名であった。
ある日、晏子が通り過ぎたが、三人は起立(敬意)しなかった。晏子は公に言った「私は、明君勇力の士を召抱えるとき、上に対しては君臣の道義があり、下に対しては統率者としての道義があり(中略)これは国を危うくさせるものどもです、彼らを除くに越したことはありません」といった。
しかし、公は三人のものどもは殴り殺そうにもかなわないといった。そこで、晏子は一計を案じた。
晏子は、景公から彼らに桃を贈らせた。その、数は3人に対して2つであった。そして、手柄を比べて桃を食べるように言った。そして、三人はそれぞれ自らの手柄を言い合った。
公孫接…大猪を一度、子持ちの虎を二度倒した
田開彊…武器だけを頼りに三軍を退けた
古治子…主君が川を渡った際に現れた巨大なすっぽんを倒した
前の二人が、手柄を主張し桃を取ったところ古治子も手柄を主張し桃を返せといった。これを聞いた二人は、私はあなたに勇気が及ばないのに桃を食べるのはさもしい、しかも勇者面して死なないのでは、勇気が無いことになると言い自害した。古治子は、不仁、不義にならないために自害した。
これは、長幼の序が無い彼らに対しておこなった策である。
参考文献
谷中信一 (2000)『晏子春秋』 明治書院