平成20613

『晏子春秋』

106-381 伴 明典

 

晏子春秋

 晏子の行動を知るには、史記や春秋左氏伝などを読めばよいが一番詳しく記されているのは、晏子春秋である。晏子春秋は、主に晏子と君主との問答が書かれている。晏子が仕えた君主は、霊公、荘公、景公であるが、在位期間がもっとも長い景公との問答が一番多くなっている。

 晏子は倹約を第一にし、食事には肉は一種類しか食わず、狐の皮衣を30年も着続けるほどの吝嗇家であったが、景公は、狩猟に出かけると帰ることを忘れ長い間帰ることがなく、女色を好んで限度を知らなかった。晏子春秋は、こういった景公に対する晏子の諫言がほとんどを占めている。晏子春秋は、そのほかにも、他国の君主や賢人との会話も含まれている。

 

晏子春秋の真贋

 晏子春秋は晏子自身が書いたものではなく、後世の人が彼を尊敬して著したものである。晏子春秋には、晏子と孔子の弟子の曾子との会話があるが、彼らの年の差は70歳以上はなれているので、この書は偽物ではないかと、疑われていたが、1972年に山東省の漢墓で、孫武や孫ピンの兵法書と共に晏子春秋の一部が出土したことから、晏子春秋の内容が正しいことが分かった。晏子と曾子の会話などは、何者かによって晏子春秋に足されたものである。

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

谷中信一 『晏子春秋』 明治書院