平成2066

晏子

106-381        伴 明典

 

晏子

晏子は、名が嬰、諡は平仲という。斉の宰相で管仲と並び称される名宰相である。晏子は見聞が広く物知りで、古今の歴史の明るく、斉の霊公、荘公、景公に仕えた。晏嬰の身長は六尺(140センチ)に満たなかったが、小さな身体に大きな勇気を宿し、社稷を第一に考え時には命を賭して諫言をおこなった。

 

晏子の人となり

 晏嬰は倹約を第一にし、食事には肉は一種類しか食わず、狐の皮衣を30年も着続け、妾には絹の衣を着せず、君主が下問すると正しく答え、下問がないときは正しく行動した。

 無欲で控えめ、かつ質素で信念を貫いた人である。同じ斉の名宰相で桓公を補佐し有能であったが贅沢な暮らしをした管仲とは正反対の宰相である。

 晏嬰は、たくさんの禄を貰っていたが、そのほとんどを親戚朋友に与えていた。こうして、親戚中には彼の禄をあてにして暮らすものが500余家あった。

 

晏嬰の評価

 晏嬰は司馬遷の『史記』に置いて、管仲・晏嬰の章で評されている。司馬遷の晏嬰に対する評価は非常に高く、御者のような低い身分でもでも良いから晏嬰のもとで働きたいと書の中で述べるほどである。

 

 

参考文献

谷中信一 『晏子春秋』 明治書院