平成20年5月23日
刎頚の交わり
106-381 伴 明典
秦への使者などで功績を挙げた藺相如は上卿に任命された。しかし、それを妬むものがいた。将軍の廉頗である。廉頗は、私は攻城野戦の功を立てたが、藺相如は口先だけで、私よりも上の地位にいることが耐えられない、とあたりをはばからず言いふらした。
藺相如は、それから病と称し朝見に出なくなった。また、廉頗の姿を遠くから見ると、車を後退させて廉頗を避け隠れた。これを見た、家臣たちは情けないと思い藺相如に諫言をした。廉頗と同列であるのに、悪言を言われたからといって畏れて隠れるのは如何なものかと。
藺相如は、強国である秦が趙に兵を向けないのは私たちがいるからである、二人が争えば必ず片方が失脚する。私が廉将軍を避けるのは国家の急を先にして雌雄を後にするからである。
この話を聞いた廉頗は今までの自らの考えを恥じ入り、肉袒負荊の格好で藺相如を訪ねた。藺相如は、廉頗に上着を着せふたりは歓談をした。そして、刎頚の交わりを結んだ。刎頚とは首をはねるということで、その友人のためなら死んでもかまわないというほどの交わりである。
参考文献
水沢利忠 (1990) 『史記 五 (世家上)』明治書院