平成20年5月9日
斉の桓公
106-381伴 明典
桓公の即位
襄公を殺し王となった無知であったが、無知もまた殺されてしまった。斉の国には王がいなくなった。そこで、斉の人は、国外に避難していた太子に即位してもらおうと考えた。というのも、襄公に目をつけられるのを恐れた弟たちが国外に亡命していたのである。公子糾は魯に避難し、これを管夷吾(管仲)と召忽が守り、公子小白は鮑叔に守られ莒に逃げていた。
無知が死ぬとすぐに小白と仲の良かった大夫は小白に知らせた。それを聞き小白は、斉の国に急いだ。管仲も無知が死んだ情報を手に入れ斉の国に偵察に来ていた。そこに、小白が現れたので、管仲は殺そうと矢を放った。その矢が小白の帯留めの金具に命中した。そのとき、小白は機転を利かせ死んだ振りをした。それを見た管仲は、糾を送っていた魯軍にゆっくりくるように伝えた。しかし、斉についてみるとすでに小白がいた。斉軍と魯軍が戦った結果、斉軍が勝利し糾は、魯によって殺され召忽は自害した。そして、管仲は囚われてしまった。
即位した小白は即位し、桓公となった。桓公は管仲を殺そうとしたが鮑叔にとめられた。鮑叔は斉国だけ統治するならば我々で足りるが、もし、覇者になること望むのならば管夷吾でなければなりません、といった。
桓公は、この言葉を聞き、管仲を大夫に命じ、政治を任せた。管仲の働きにより斉の国は豊かになり、覇者への道を進んでいく。
管鮑の交わり
お互いを十分理解して信頼しあい、利益などによって変わることなどない、きわめて親密な交わり。
管仲は幼い頃より鮑叔に迷惑をかけたが、管仲のことを理解していた鮑叔は変わらぬ友誼を結んだ故事である。
参考文献
水沢利忠 (1990) 『史記 五 (世家上)』明治書院