山城の変遷
21年7月3日
守屋秀之
◎戦国後期・・・城下町を伴う平山城、平城が主流となっていく。
○戦の常態化・・・戦時にのみ山城にたてこもることが不便になり、常時城に待機して戦に備える必要があった。そのため山城に居住施設を設けるようになったが、今度は麓と往復することになるといった交通の便が悪くなる問題が生じた。
○防御面・・・木柵と浅い堀で防御した山城は、火縄銃による攻撃に弱かった。そのために、何重もの深い堀によって防御するようになった。また守城側も火縄銃で功城側の兵を攻撃できるようになった。そのため堀の深さをあえて槍の届く程度にとどめる必要がなくなり、深い堀を掘るには平山城や平城のほうが効率的であった。
○城の大規模化・・・戦国大名の支配権確立に伴い、各地の国人領主を完全に家臣として組み込むにあたり、城下町に集住させるようになった。そこで人口増加に対応するには山城では限界があった。
◎山城から平山城、平城への移行例
・小田原城・・・元々山城だったものが城と麓の城下町が拡大を繰り返した結果、城下町全体を惣構えで囲んだ大規模な平山城に発展。
・鷹取城・・・放射状竪堀を導入し、トーチカのような鉄壁の要塞と化した。
・仙台城・・・江戸時代に入ってから山城から平山城に移行。
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