“山田方谷”財政再建への挑戦H
22年5月21日
守屋秀之
◎民政刷新改革@〜上下ともに富む・山田方谷の思想〜
・方谷が藩政を担当し、その改革を行うにあたって終始一貫して貫いた方針は「士民撫育」ということであった。産業振興・藩札刷新などの改革はいずれも一時も耐乏によって将来の藩士領民の生活を安定させ、富国強兵を図るためであり、まさに「国利民福」に根本をおいた「士民撫育」であった。
このことは、嘉永4(1851)年4月8日の藩財政に関する上申書「借財整理着手及結果又其後方略上申」の中で、「財政再建は、金銭の取り扱いばかり考えていても決して成就できるものではなく、国政から町民・市民までをきちんと始めて、それができるものである。政治と財政は車の両輪である」と述べていることから分かる。
また、安政2(1855)年10月の上申書「撫育の急務上申」においては、「藩主の天職は、藩士並びに百姓町人を撫育することにあります。まず急務とするところは、藩士の借り上米を戻すこと、百姓の年貢を減らすこと、町人には金融の便宜をはかり交易を盛んにすること、この三ヵ条であります」と述べ、更にまた「撫育方と名づける訳は、撫育を主とし人民の利益をはかり、そのうちから自然に上の利益も生じ、その利益によってお勝手もしのぎやすくなり、それがまた撫育になるにです」と述べているように、方谷の藩政改革の目標は上下ともに富むということであった、ということが分かる。
参考文献
野島 透『山田方谷に学ぶ財政改革』(2002)明徳出版社
小野晋也『山田方谷の思想』(2006)中経出版