“山田方谷”財政再建への挑戦D
22年4月26日
守屋秀之
1.藩札刷新改革~其の一~
◎藩札発行の意義~メリットとその限界~
・江戸時代の貨幣の種類は、金貨・銀貨・銅貨の3種類からなっていた。しかし、その鋳造は徳川幕府の独占事業であり、各藩が独自に貨幣を鋳造することは御法度であった。
その代わりに紙幣である藩札の発行が認められていた(額面額どおりの金貨等にいつでも交換される兌換紙幣であることがその条件である。)。実際の発行については、正貨に打歩して藩札との交換を奨励し(例えば、金9両に対して額面10両の藩札と交換)、逆に藩札を正貨と交換する場合には、発行時以上に打歩する(額面10両の藩札を金8両と交換)という手法がとられていた。
当時の藩札と正貨との兌換レートは、赤穂藩の60%が最もよいもので、8代将軍の吉宗が生まれる前の紀州藩が宝永4年(1707)に発行したものなどは、20%であった。(ちなみに、藩札と正貨との交換レートの差は、現在の公債発行と同じことになる。)
このような形態で発行された藩札は、市中に実際の通貨量以上の通貨を流通させることを可能にし、また通貨の流通をスムーズにさせ、経済の活性化をもたらした。しかし、それは経済政策の観点から発行されたものではなかった。
徳川幕藩体制は、本来、米の生産力を基盤とする農本主義の経済体制(米本位経済)であった。しかし、商業の発展に伴い経済の中心は米から貨幣にとって替わられた。貨幣流通の発展により、米の生産力をはるかに超えた規模に経済が拡大したのである。
従来の米本位経済のよる米の生産力と、金本位経済にとって替わられたことにより生じた実際の経済規模とのギャップを埋めるための方策が、年貢の強化・銀主からの借金等であるが、藩札の発行は、それと同列の赤字財政補填のための窮余の一策でしかなかった。
参考文献
野島 透『山田方谷に学ぶ財政改革』明徳出版社
小野晋也『山田方谷の思想』中経出版