“山田方谷”財政再建への挑戦B
22年1月29日
守屋秀之
3.「産業振興策」~其の二~
◎ムダを排除し、「備中ブランド」を独自の販売ルートで売り込むべし!
・当時、日本の流通網は大阪を中心に成り立っていた。特に、西日本で生産されたものは大阪の問屋に集まり、そこから全国へと流通していくのが一般的だった。ところが、そんな商習慣に囚われず、大阪を無視して海路、百万人の消費者がいる巨大市場である江戸へと直接「備中ブランド品」を送り、販売していく策をとる。
●販売方法
・藩内で生産する米以外のすべての生産物を管理し、流通・販売させる「撫育方」をつくって藩船「快風丸」で物資を江戸に運び、今で言うアンテナショップ「板倉江戸屋敷」を江戸に設けて、そこで「備中ブランド品」を直接販売する方法を確立した。
●効果
・江戸での直接販売に目をつけ、商品を大消費地である江戸に直接持って行った。このことにより、中間マージンは排除でき、安いよい商品を直接大量の消費者に販売し、莫大な利益を藩にもたらした。つまり、方谷はまったく新規の流通ルートを作り、新しいビジネススタイルを確立した。
➞そういう意味では、方谷は江戸末期に現れた、まさにベンチャー事業の旗手だったと言える。
参考文献
小野晋也「山田方谷の思想」中経出版
野島 透「山田方谷に学ぶ財政改革」明徳出版社
参考資料
http://www2e.biglobe.ne.jp/~fujimoto/taka/yamada/htm