“山田方谷”財政再建への挑戦L
22年6月18日
守屋秀之
◎教育改革2〜山田方谷と大久保利通〜
・大久保利通がいかに山田方谷の能力を買い、信頼していたかが分かる逸話がある。
明治維新後、小田県(現、岡山県)の県令(県知事)になった矢野光儀は、倉敷の豪商林源十郎を伴い上京し、ときの内務大臣大久保利通に対し、県の諸問題を報告した。
その際、大久保利通から「方谷を訪ねたか」と質問されたところ、矢野は「まだです」と答えた。すると、大久保利通は不機嫌な表情をし、「小田県を治めなければならないのに、山田翁に政治を問わないで、何ができるか」と一喝した。矢野は大久保のもとをほうほうの体で立ち去り、山田翁にあった。
その後、矢野は再度大久保のもとへ行き、県の報告書を手渡し、大久保に怒られそうになる前に、「方谷の草案です」と言ったところ、大久保はその場で報告書を読み終え、直ちに許可を与えたので、矢野は仰天してしまったという。
注)林源十郎・・・林薬品株式会社の創業者。かつては医薬品、衛星材料、医療機器、動物用薬品の卸を中心とする日本の企業。現在は医薬品の卸売手、武田薬品工業の連結持ち株法適用会社。1963年大鵬薬品工業設立。因みに、社名は横綱・大鵬の名にちなんだものではなく、壮士の逍遥遊の鵬について書かれた一説に由来する。
注)ほうほうの体・・・慌てふためいて逃げ出す様子。
参考文献
野島 透『山田方谷に学ぶ財政改』(2002)明徳出版社
小野晋也『山田方谷の思想』(2006)中経出版