“山田方谷”財政再建への挑戦J
22年6月4日
守屋秀之
◎民政刷新改革B〜内容とその結果〜
○内容
一、道路を整備し、水利を通じさせた。
➞狭い道路は、道路幅を広げた。また、川や溝のふさがっているところは、川底をさらった。中でも城下松山から賀陽郡種井村にいたる道路は松山従来の本道にもかかわらず狭かったので、安政6(1859)年に幅員を拡張して人馬の従来を便利にした。これによって産業も大いに栄えた。
一、城下と玉島、八田部に「教諭所」を設置し庶民教育を施した。
一、「目安箱」を設置した。
➞目安箱は8代将軍吉宗が享保6(1721)年、庶民の意見を聞くために評定所の門前に設置したのに始まるが、備中松山藩でもこれを取り入れて、総門外の制札場に設置している。誰でも、「政事向きより何事に寄らず存じ候事」を記入して投書することができた。
○結果
以上のような具体的且つ厳格な民政の執行によって、悪習は一掃され、節約の風も大いに行われ「昔に比べると夢のような安楽な土地になった。」といわれ、他領他藩の者は、備中松山藩に視察に入ってその現状を知り、大いに見習うべきだと感じいったという。
参考文献
野島 透『山田方谷に学ぶ財政改革』(2002)明徳出版社
小野晋也『山田方谷の思想』(2006)中経出版