“山田方谷”財政再建への挑戦@

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                             守屋秀之

 

1.債務の50年返済延期を行う。(改革の成功によって数年後には完済している)。嘉永3年(1850)春、大阪に向かう。そしてこれまでの備中松山藩の財政状況を説明し、借金10万両の返済猶予を申し入れた。

 

◎備中松山藩の当時の財政状況

・この時点で財政赤字は33000両。負債総額は10万両に膨れ上がっていた。

  当時の備中松山藩の収支額は表向き5万石ながら実質2万石たらずで

藩は返すあてもなく借金を重ねていく。

 

◎産業振興策の実施

 ・この状況を打開するために産業の再建計画ともいえる産業振興策を実施す

  る。この緻密に作られた産業振興策は大阪商人たちの心を動かし、利子の

  免除、50年の借金返済を承認した。

 

 

参考資料

山田方谷 http://www2e.biglobe.ne.jp/fujimoto/taka/yamada.htm

ウィキぺディア http://ja.wikipedia.org/wiki/