新田開発をめぐる事件簿A
21年11月6日
守屋秀之
◎ケース2:浅口郡における開発
○事件の経緯
・岡山藩と備中松山藩とが競って開発をしていた。しかし、その後、岡山藩が開発した村々は鴨方藩領に、松山藩が開発した阿賀崎新田村は幕府領になる。
これらの新田開発をめぐる村々の共通の問題は、上流から流れる土砂が玉島
○結果
➞一度目と三度目とは内済、二度目は幕府の裁許となり、双方の主張を取り入れた痛み分けのような解決となっている。
○その後
・現・笠原市域に含まれる今立川河口の入り江は、浅口郡と小田郡との境目になっていた。その浅口郡側の西
参考資料
池田家文庫等貴重資料展
http://lib.okayama-u.ac.jp/ikeda/exhibition/2002/#3