方 谷 革 命 A

                       〜山田方谷とケインズ革命〜

                                                                                    2298

                                                                                           守屋秀之

◎日本に先駆けた会社組織の登場とその実態

米本位経済を基本とする士農工商の身分制度でガチガチに固められた封建社会で、資本主義革命を果たすために、方谷は藩そのものを企業立国にしたてあげようとした。方谷はひそかに、藩を本社部門・生産部門・物流部門から成るいわゆる「働くシステム集団」、つまり、現在の会社組織そっくりの企業立国を構築した。伝統の士農工商の組織構造をぶっ壊したのである。ここで「働くシステム集団」について説明したいと思う。

備中松山藩の人口はおよそ5万人。武士階級が5%2500人、大半は農民で80%4万人、商工人が15%7500人から成っている。扶養家族を除いた就業人口は、武士が500名、農民は2万人、商工あわせた2500名の計23000名である。山田方谷はこの就業人口23000名をそっくり独占企業の従業員に組み入れた。

戦略中枢部門である本社は今まで通り藩庁が担当。だが、この藩庁こそ世襲身分で固められた武士の世界そのものであり、無能なヤカラが上位を我が物顔で占めている。太平の惰眠を貪ってきた士族は、無為徒食の自覚もなく、もって生まれた身分と禄高にしがみついて寄生虫のごとき搾取集団となっている。この「非生産者集団」を何とかしなければ伝統の身分制度をぶっ壊すといった構造改革は成し遂げられない。そこで方谷は、抜き打ちの身分否定を不言実行したが、目だった反乱もなく成功している。不思議な方谷行政の謎の一つである。

生産部門には農民と全ての工職人を配属し、商人は販売部門に。これから大きな役割を果たすことになる物流部門には農工商民から人選して人を送り込む。また、実務部門である生産、販売、物流の3部門を統括するための本部である「撫育局」を新設した。

これが山田方谷のつくった新組織「働くシステム集団」の骨組みである。また、これは身分制度でガチガチに固められた封建社会をぶっ壊した資本主義革命であり、藩をあげての新体制の幕開けであった。

 

参考文献

野島 透『山田方谷に学ぶ財政改革』(2002)明徳出版社

矢吹邦彦『ケインズに先駆けた日本人−山田方谷外伝』(1998)明徳出版社