津田永忠と新田開発@
21年10月9日
守屋秀之
◎岡山平野の開拓
・「金岡新田」の開発(寛文3年完成)
・「中川前ノ新田」の開発(寛文4年完成)
・「邑久郡ノ新田」の開発(寛文7年完成)
◎新田開発に伴う諸事件
ケース1「中川前ノ新田」
・万治3年(1660)、請負人や村役人の不正が発覚し、それに関わって郡奉行の波多野夫衛門が改易となる事件がおき、一旦中止となる。
ケース2「金岡新田」・ケース3「邑久郡ノ新田」
・寛文4年(1664)、鴻池仁兵衛ら大阪の商人たちが請け負って工事が始まり、寛文7年(1667)に金岡新田の一部が完成する。しかし、後藩と商人との間で紛争が起こる。結局、商人たちを排除して藩が工事を継続していくこととなる。
◎社倉米と新田開発
・藩が新田開発をするための十分な資金を確保するために、藩主導で開発を行うための資金源として注目されたもの。寛文11年(1671)に津田永忠の発案によって始められたもの。その財源となったのは湯沐料一千貫だった。
社倉米は実際、領民の救済に役立った面がある一方、運用が村に強制されることもあったため、村同士で紛争が起こることもあった。
また、本来の目的から離れて、それが藩の行う様々な事業の資金として流用されるようになる。
参考資料
池田家文庫等貴重資料展
http://lib.okayama-u.ac.jp/ikeda/exhibition/2002/#3